「還浄」をめぐって教団当局にただす                             
                                              
信楽 峻麿

最近の葬儀風景

 最近の真宗における葬儀の現場では、今までには見られなかった「還浄」と染め抜いた幕が張られ、「還浄」という紙札が貼られるようになってきました。また、最近の死亡通知の葉書にも、この言葉が用いられるようになりました。私はこれはとんでもない誤解による表記だと思って、ある関係者に申し入れたところ、それはもともと真宗僧侶が言いだし、指導したということでした。そこで私はひとり、今も縁あるごとに反対して、それはあえて言うならば、「帰浄」と書くべきであると申してきました。ところが、そのことについて、私がそういうのはけしからんと、『中外』紙上で非難する人がありましたが、私は、まあそんな中傷は、仏教や真宗を何も知らない人の言い分だと、かるく聞き流しておりました。しかし、最近この問題をめぐって、ある住職が教団当局に質問し、当局から回答が返ってきたのを見せてもらって、教団当局が、こんな誤った真宗理解をしている以上、これでは私も一言いわねばならないと考え、多くの関心のある全国の僧侶、信徒の皆さんにも訴えて、教団の誤謬をただしたいと思ったことであります。いまさら私の如き老人の出る幕ではないと、重々承知してはおりますが、このことだけは教団の将来のためにも、あえてものを申しておかねばなるまいと、強く決意してペンをとった次第であります。

往生とは「かえる」こと

 親鸞聖人においては、一般には、念仏者の死を「往生」と呼んでおられますが、またそのことを、しばしば仮名で浄土に「かえる」ともいわれています。この「かえる」と訓む漢字は、諸橋轍次著『大漢和辞典』によれば、四十四字もありますが、親鸞聖人においては、「かえる」と訓む漢字は、基本的には「帰」と「還」とを用いていられます。親鸞聖人が、この二字を選んで用いられるについては、それなりの意趣、思想があったと考えられます。ただし、親鸞聖人の著作に引用される文献の中には、この「かえる」と訓まれる漢字が、そのほかにも用いられておりますが、その引文の中の文字を取りだして、それをもって親鸞聖人の意趣、思想と理解することは、まったく非学問的でありましょう。よって今は、引文における文字はすべて除外し、親鸞聖人が主体的に、自己の文章の中で用いられたもののみによって考察することとします。
 そこで、親鸞聖人が用いられた「帰」と「還」の字義について検しますと、
 その「帰」とは、中国の古典で、漢の許慎が、和帝永元一二年(紀元一〇〇年)に撰したという『説文解字』によれば、「女の嫁するなり」といい、白川靜著『字統』によれば、「帰とは軍が帰還して寝廟に報告する儀礼をあらわし、女の嫁する意は後の用義」といっております。また藤堂明保著『漢字の語源研究』によれば、「女性が嫁にいくことを帰という。女性が定位置におちつくことをいう」といいます。また諸橋『大漢和辞典』によれば、「とつぐ、ゆく、かへる、おもむく、よる、身をよせる・・・・」などの意があるといいます。よって、この「帰」の字は、基本的には、「はじめてゆく、かえる」ことで、あるべき位置におちつくという意味をあらわしているといいえましょう。
 それに対して、「還」とは、『説文解字』によれば、「復(かえ)るなり」といい、『字統』では、「還とは※
註@のことで、死喪のとき、死者の復活を願うて玉環を襟もとに置くことを意味する」といいます。また『漢字の語源研究』では「※註@は眼を丸くひらいてぐるりと見回すこと、還とは、ぐるりと回って出発点にもどること」といい、『大漢和辞典』では、「かえる、また、つもる、あしあと、めぐる、かこむ・・・・」などの意があるといいます。よって、この「還」の字は、基本的には、「ぐるりとまわってもとのところにかえる」という意味をあらわす字といえましょう。
 以上が「帰」と「還」の漢字の原義であります。ことにこの「帰」が、女の嫁することで、「はじめていく」という意があり、その「還」が、復(かえ)ることで「もとのところにかえる」という意があることは、上にあげた『説文解字』に明らかでありますが、親鸞聖人は、その『教行証文類』において、この『説文解字』の文を引用されているところ、それを依用されていたことが知られ、親鸞聖人は、この「帰」と「還」の字義についても、それに従って充分に承知されていたとうかがわれます。

註@漢字がありませんでした。「還」の「しんにゅう」の無い字です。

親鸞における帰と還

 そこで親鸞聖人における「帰」と「還」の字の用例について検しますと、
 その「帰」については、「帰す」「帰依」「帰敬」「帰命」「帰入」「帰伏」「帰邪」「還帰」などがあります。はじめの五語は、いずれも仏教にかかわるものですが、親鸞聖人は、その帰を解釈して「至なり」といわれ、また帰説(悦)(きえち)帰説(税)(きさい)と熟字して、その帰説(きえち)には「よりたのむなり」、帰説(きさい)には「よりかかるなり」と左訓されています。次の帰依、帰敬とは、仏法に帰依、帰敬することをあらわし、次の帰命、帰入とは、本願に帰命し、帰入することを意味しますが、ことにこの帰入については、『正像末和讃』に「信心のひとを摂取して浄土に帰入せしめけり」と明かされております。ここでいう帰入とは、明らかに浄土に往生することをあらわす言葉でしょう。かくして、上に見たように、親鸞聖人が浄土に往生することを、「かえる」とも表現されるのは、往生とは、浄土にはじめていくことを意味しますので、この「かえる」とは、漢字であらわせば「帰」の字を用いるべきことが明らかであります。またその往生とは、ことにはそれが、仏法帰依、本願帰命、「よりたのむ」「よりかかる」ことの延長上において成立する出来事、事態であるところ、それはまさしく「帰」と表現することがよりふさわしいといえましょう。次の二語は仏教以外にかかわることで、帰伏とはおさめられて従うこと、帰邪とはひがごとをこのむことをいいます。最後の還帰とは、還と帰を重ねて熟語としたものですが、これは法然上人の往生について明かした『高僧和讃』の文に見えるもので、親鸞聖人は、法然上人については「阿弥陀如来化してこそ、本師源空としめしけれ」とたたえて、上人を阿弥陀仏の化身と尊仰されたわけです。その意味では、法然上人は、往生して浄土に帰られたわけですが、それはもといた場所に還ったという意味があるわけで、そのことから、親鸞聖人は、この法然上人の往生にかぎって、還の字を用いて、ことに「還帰」と明かされたものであろうと思われます。その点、親鸞聖人は、この「帰」とはその本来の字義の如く、「はじめてゆく、かえる」という意味をもっていること、そしてまた、「還」とは、「もとのところにかえる」という意味をもった字だということを、充分に承知されていたことがうかがわれます。
 またその「還」については、「還来」「還相」「往還」「還帰」などがあります。はじめの還来とは、『正信念仏偈』および『念仏正信偈』に見えるもので、このまま迷界に再びかえりもどることをいい、次の還相と往還とは、阿弥陀仏の回向について明かすもので、その還とは、浄土に往生したものが、仏事に参加して、衆生済度のために、浄土からこの迷界にかえってくることをいいます。しかし、この還来の語は、もう一カ所、『愚禿鈔』において、念仏者の浄土往生について、「報土に還来」という表現をされていますが、これは善導の『散善義』の二河白道の文の中の、「直来」の来の字を説明するについて、「来の言は去に対し、往に対するなり」という文を受けていったもので、その「往」の字に対応して、帰の字を用いずに、あえて「還」の字を用いられたものと考えられます。最後の還帰とは、『高僧和讃』の中にあるもので、すでに上に見た如くであります。かくして、この還とは、この『愚禿鈔』の一例を除いては、すべてその字義の如く、「ぐるりとまわってもとのところにかえる」という意味において、使用されているといいうるでありましょう。
 かくして、親鸞聖人における「帰」と「還」との用例については、その字義の相違を充分に承知の上で使用されていることが知られるわけで、このように字義にこだわる態度は、若き日に、比叡山で身につけられた、天台教学の研究方法論によるものと思われます。そのような態度は、『教行証文類』をはじめとして、親鸞聖人の、漢文、和文の諸著作の随所に見られるところであります。

往生は帰か還か

 しかし今日では、真宗教団の、地方各地で「還浄」という語が頻繁に使用されておりますが、このように、あえて人間の死を還浄というならば、上に見た如き、その字義並びに親鸞聖人の意趣からすれば、その人はもともと浄土にいたもので、その死とは、ぐるりとまわってもとの浄土にもどった、ということになるのではありませんか。しかし、親鸞聖人、真宗の教えによる限り、私たちは、もともと浄土にいたものではありません。そうではなくて、私たちは、本来に地獄の存在として、地獄の生命を生きているものではありませんか。無始永劫の過去から、尽未来のはてまで、この迷界を流転している存在なのではありませんか。にもかかわらず、いま不思議にも、仏縁をめぐまれて本願大悲に値遇し、調熟せしめられて、このたび「はじめて」浄土に帰し、往生していくのでありましょう。もしも、往生を浄土に還る、もとのところにもどることと理解するとすれば、それは仏教学的には、明らかに人間は本来に仏であるという見解に立つことであって、聖道仏教の立場からの主張であり、浄土真宗の教義からは、遠く逸脱することになりましょう。その点、勧学寮の皆さんは、このことこそ異安心として、厳しく取り上げられるべきではありませんか。
 そこで私は、上述の理由によって、念仏者の往生について、別に表現するとすれば、そのことは、永劫の迷妄を出離して、いまはじめて浄土に「ゆく」ことであり、人間のあるべき「本来の位置におちつく」ということであるところ、そういう意味をもつ「帰」の字を用いて、「帰浄」というべきであると思います。真摯に真宗信心を学ばれている、全国の僧侶、信徒の皆さんは、いかがお考えになられるでしょうか。

親鸞聖人だけは還浄

 ただし、真宗教団では、唯一の例外があります。それは、親鸞聖人の往生についてのみ、それを「還浄」と呼びならわしてきたということであります。そのことは、上に見たように、法然上人はその滅後に、阿弥陀仏の化身としてこの迷界に来現された人だといわれましたが、親鸞聖人についても、また同じようにそういわれることになったからです。すなわち、覚如の『報恩講私記(式)』によれば
 「祖師聖人はただ人にましまさず、すなわち、これ権化の再誕なり。すでに弥陀如来の  応現と称す」
と語られるところであります。かくして、親鸞聖人は、浄土から来た人であり、したがってまた、浄土に還られた人であるというわけであります。そのことから、西本願寺教団においては、江戸時代の末ごろに、親鸞聖人往生の地と伝えられる、角坊別院(坊舎)に、広如宗主の筆になる「還浄殿」という竪額をかかげ、またその石碑までも建立しているゆえんであります。そこで教団当局に質問致します。本願寺教団では、真宗僧侶によって葬儀をしてもらえば、これからは、今までの慣例をやめて、すべて親鸞聖人と同じように、還浄といってもよいのでしょうか。このことについての、ご意見をお聞かせください。

仏教の伝統に学べ

 親鸞聖人においては、念仏者の死を、「往生」と表現されて、その用例は極めて多くあります。よって従来より、念仏者の死については、「往生の素懐をとげる」などと、言い習わしてまいりました。そしてまた、そのことを、親鸞聖人は、しばしば浄土に「かえる」と語られているところから、そのことを漢字で表記するとすれば、「帰」という字を当てるべきであることを論じてまいりました。そのことについては、仏教いっぱんにおいても、同様でありまして、伝統的には、人の死については、いずれも「帰」の字を用いております。すなわち、「帰寂」「帰元」「帰真」「帰本」「帰化」などと明かすところであります。それらはすべて仏教徒の死についていうものであります。
 ことに宋の道誠が天喜三年(一〇一九)に編集した、著名な『釈氏要覧』によれば、「釈子の死亡は帰寂の日と称すべし。けだし釈氏では忌諱なき故に」とあります。仏教では、古くから人の死を、「帰寂」と言ってきたわけであります。また仏教では、忌諱(忌中)ということは言いませんでした。これが千年にわたる仏教の伝統です。還浄という語を言いだされた方は、このような字義や、親鸞聖人の用語例とその思想について何の理解もなく、また仏教についても、このような用語と、長い歴史があることをご承知なかったのでしょうか。仏教徒ならば、ただしく仏教の伝統に学ぶべきでありましょう。

教団当局の見解

 そこで、この「還浄」の語に疑問を抱いたある住職に対し、このたび、教団当局は回答して、親鸞聖人の『唯信鈔文意』には、「率てかえらしむ」(浄土真宗聖典・註釈版・七〇七頁)という文があるではないかといい、その文の意味は、仏が「つれてかえってくださる」ことだから、還浄ということは正しい。そのことは「他力の法門の本義」であり、それは「親鸞聖人の教えに即した言い方」だと強弁されております。
 しかし、この文は、本願寺教団が長く依用してきた、『真宗法要』所収本に、「むかへいてかへらしむ」とある文の「いて」に、「率て」という漢字をあてられて読まれたものと思われますが、(ただし、もう一つの浄土真宗聖典・原典版では「むかへかへらしむ」(八〇一頁)となっている)、この「率て」という言葉が、何故に、浄土に往生するとは「還浄」であるということになるのでしょうか。すなわち、人間はみんなもともと浄土にいたもので、往生するとは、そのもとの浄土に還っていく、もどっていくということになるといいうるのでしょうか。例え阿弥陀仏が「率て」くださるとしても、阿弥陀仏については「還」といいえても、私たち衆生の往生については、久遠劫来の迷妄を出離して、このたび、はじめて往生する以上、決して「還」とはいいえないのではないですか。どうしてそのことが、「ぐるりとまわってもとのところにかえる」という「還」の意味をもつのでしょうか。ほんらいの「還」の字義からしても、また親鸞聖人の用語例およびその思想からしても、このような解釈は、全く牽強付会と言わざるをえないと思われますがいかがでしょうか。
 かくして、このような強弁によって、その「還浄」という語が、「他力の法門の本義」であり、「聖人の教えに即した言い方」だと言われることは、とうてい承認しがたいことであります。しかしながら、このような私の理解は誤りでしょうか。もしそうだとすれば、私も真宗学の一学徒でありますので、学問的にも充分に納得しうるような、教団当局の、ご回答、ご指導をいただきたいと思います。

当局に対する提案

 そこで教団当局に提案いたします。この「還浄」ということは、私の知るかぎりでも、今日では、近畿、九州、中国、北陸の各地方に拡がりつつありますが、この還浄という表記は、以上の論証によって、親鸞聖人の著書やその思想においても、その根拠はなく、またその字義についても、遠く逸脱する語であることが明らかでありましょう。かくして、教団当局がいかに強弁されようとも、その弁明はとうてい成立しえず、それは明らかに誤謬であって、そのような用語は使用すべきではないと思いますが、いかがでしょうか。もしもそれが誤りであると認められるならば、教団当局はすみやかに、修正指導されるべきだと提案いたしますが、いかがでしょうか。この「還浄」という言葉は、いっぱんの民間人が言いだすはずはありません。それは明らかに、真宗僧侶が言いだし、指導したものです。とすれば、これは教団自体の責任で、それは世間の人が「他力」や「往生」の語を誤用しているということとはわけが違います。この言葉が広く世間に定着しないうちに、教団は直ちに指導し修正すべきであります。私はかつて数年前に、戦後五十年を迎えるにあたって、教団の戦争責任について進言いたしましたが、その五十年の記念法要は厳修されたにもかかわらず、私の提案は、何ひとつとして取り上げては下さいませんでした。かくして教団の戦争責任は、今もって清算されないままに、今もそれを引きずり続けています。まことに悲しく思います。このたびのこの教団当局への私の進言も、また同じように無視されるのでしょうか。そういうことのないよう、くれぐれも念じるばかりです。
 もしも、この問題を、このまま放置しておきますと、それがもともと真宗僧侶が言いだし、指導したかぎり、誰でも葬式をしてもらったら、みんな還浄する、浄土にもどるということを、真宗教団そのものが証明することになって、信心のないものも、すべて浄土にゆくことができるということになりかねません。もしもそういうことになったとしたら、真宗信心とはいったい何なのでしょうか。教団が現在精力的に進められている聞法運動とも、自己矛盾することになりはしませんか。そしてまた、このような真宗信心の根幹にかかわる問題を、このまま黙認されるとするならば、やがて本願寺教団は、いよいよ信心が欠落した死者儀礼集団に転落し、その教団存立の意義までも喪失して、ついには真宗がいっそう世俗化し、民俗信仰化してゆくことになるのは必定であります。私は教団の将来を思うがゆえに、きわめて憂慮にたえないものです。すでに末端では、そういう教団状況が広がりつつあり、そのことは、私が現場で、身をもって一再ならず直面し、見聞しているところであります。
 また、ある地方では、この問題が表面化、問題化するのを恐れて、それを真宗教団連合に移して、そこで真宗各派の合意事項として、早々に既成化しようとしていますが、そのことは、いったい何人の発案、指令なのでしょうか。このようなことは前例があって、かつて昭和初期に、国家が伊勢神宮の大麻(たいま)を全国の各家庭に奉祀するよう指令したとき、西本願寺教団は、はじめは、そのことは真宗信心に違背すると言って、反対していたところ、その後一転して賛成することとなりました。そこでその自己矛盾を糊塗するために、当時の真宗各派協和会に持ち込んで、真宗教団全体の合意事項だから仕方がないといい、勧学寮も「宗義上差仕えなし」といって、門末に強制したことがありましたが、今度も同じ手段をとられるのでしょうか。それほどまでに姑息な対応をなされるとすれば、もはや何をかいわんやの思いです。悲しいかぎりです。
 ともあれ、真宗教団の新しい世紀のために、その未来のまことの発展のために、この問題についての、教団当局の誠意ある処置、適正な指導を強く念じてやみません。

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