儀礼(死者儀礼)(本願寺監正局での法話 1997/3/20)

【はじめに】


 お早うこざいます。今日は三月ということで一応私の任期は二年で、この三月までということてありますが、今後どうなりますか一応区切りがつく訳でこさいまして、いろいろお世話になったことであります。

 そこで、お約束のように、毎月少しお話を申し上げるということだったんですが この前、去年の暮れでしたか、大村英昭さんが「中外日報」に私に質問するということでおっしゃっています事、それについて何か文章を書けばいいんですが、そんな時間も思いもありませんのですが、問題は大変大きい問題で、見逃し出来ないものですので、その質問を受けて、私の思いを語ってみたいと思います。


【宗教儀礼は象徴行為】


 「儀礼」という問題についての質問でありますが、特に<死者儀礼>−亡くなった人の法要をとう考えるか−という問題に焦点を絞ってお話をしてみたいと思います。
 基本的にまず<真宗にもける儀礼>という宗教儀礼をどう考えるのか、教学研究所ていろいろ問題にするが、なかなかまとまらないという大村先生の話でしたが、これもいろいろ議論すれば問題かあるんですが、一つは私は 宗教儀礼というのは象徴(シンボル)行為であると、基本的には捉えるべきだと思います。
 阿弥陀仏像もあるいはお名号も、あれは、真実、親鸞聖人の言う究極約な真実、真(まこと)、そういうものを、ああいう形てシンボライズ、象徴したわけてすね。それが仏像であったり、お名号てあったりするわけですが、同時に、我々が宗教的な生活をするのには、蝋燭を灯しお仏飯を差し上げ香を燃じ手を合わせて礼拝する。これは、何かを指し示す、いわゆる一種の<象徴の行為>だと言っていいと思います。それ自身が何かあるんじゃなくて、その事を通して、もう一つその奥にあるものに我々は触れて行くという、そういう意
味合いを<象徴の行為>と申します。   
 今も、仏前を荘厳してお経を読み、皆とお念仏するというのは、そのことを通して、その向こうにある仏、真実と何らかの交わりを持とうという、そういう一つのシンボル的な行為だと、こう申してよろしいと思うんです。

 そこで問題は、基本的にはそういう<象徴儀礼>、だからもっと言えば、我々が信心を頂き、信心を深めるための一つのプロセスだと、こう申していいんですが、特に亡くなったいわゆる死者に対する法要というもの、我々は日々のお寺の住職としてそういう事に関わるんですが、それをどう考えたらいいかという問題であります。わかったようで、あまりそのことを議論しておりませんので、少しそれに触れてみたいと思うんです。


【仏教における死者儀礼】


 この<死者儀礼>という間題は、インドの仏教にはもちろんなかった事でありますが、中国に仏教が伝わって参りまして、こういう死者に対する儀礼が生まれてくるんですね。これは、例えばインド以外のスリランカ等々ですね、南方に伝わった仏教の現実を見ますと、南方仏教は、これは死者に関わっておりません。現在も、ただ民衆の中に入って行きましたために現世利益という方向は多分に持っておりますが、死んだ者のためにという意味はないですね。それは、タクラマカン砂漠を越えて中国に入った仏教が、そういうものを持っている。それが、韓国・日本にも重なって来るんです。

 中国には、ご案内由ように、<儒教>というのがあります。お釈迦さまと同じ頃に出た、孔子が説いた教えだと言いますね。
 この孔子の教え、<儒教>というのは、基本約には孝行を言うんですね。先祖を敬え、特に親を大切にせよということを非常にやかましく言う。<儒教>というのは<縦の論理>です。親と子・夫と妻・先輩と後輩という<縦の論理>を非常にやかましく言う。その中でも、親というものを非常に大事にせよという、こういう考え方があるんですね。しかも面白いのは、生きている親よりも死んだ親を大事にするという、死者としての先祖を大事にせよよいうのが、これが<儒教>のひとつの考え方でありました。こういうものが、今の仏
教と中国でダブるわけですね。
 そこで生まれてくるのが、この<死者儀礼>であります。いつか上海の有名なお寺にお参りして、向こうのご住職といろいろお話をしたことがありますが、そこでは、仏様を本尊に祀りまして、両方の余間に、この前も申し上げたんでしたかな、片方には生きた人の名前をざあっと書いてぶら下げてある、もう片方には死んだ人の名前をぶら下げてあるんですね。聞いてみると、生きた人の方の名前を書いたのは、この人達の現世に幸せがありますようにお祈りをして、亡くなった人は死後の幸せを祈るんだという、こういう形の、今日の中国の仏教の構造がございました。そういう、名前をいっぱい書いたのをぶら下げておったのを見ましたが、<現世利益>と<死者儀礼>というのが、中国の今日の仏教になっておるんですね。

 そういう」中国の死者に関わる儀礼というものを、儒教によって生まれた、そういう中国仏教が日本に入ってきます。ご案内のように、儒教が仏教より先に日本には入っておりますので、そういうものは当然<死者儀礼>に重なるわけですね。そして日本は、ご案内のように、古来から神道と言われる、いわゆる神様を祀る<民俗信仰>があります。これも、<崇り>を言うんですね。死者の崇りということもありますから、<鎮魂>−霊を鎮める、なだめる−というような、慰霊というような意味で、ここでまた、日本の仏教が死者に深く関わってくるわけであります。
                           
【読経の意味】

 こういう形で、奈良時代からずっと死者に関わりながら、日本の仏教は流れるんですが、そこで、真宗ではそれをどう考えるか、という問題ですね。
 江戸時代から近代にかけて、重要な真宗の教義については、ご承知だと思いますが、<論題>といういろいろなテーマを集めて、「二種深信」 「信一念」 「行一念」とか、教義のテーマを集めて議論をして来たんです。
 江戸時代の宗学は、そういうものをを集めて一三〇題ほどテーマを決めておりますが、その中に、「読経意趣」−読経には何の意味があるか−というのと、「追善回向」というテーマがありまして、いわゆる「お経を読む」ということの意味はどういうことなのか、死者の仏事に我々が遇うのはどういう意味か、やはり議論をして来ております。

 大変大ざっぱに言いますと、お経を死者の命日に読むことの理由は、二つに分かれます。真宗教義の解釈の中で、一つは、それは全く追善の意味は
無いんだと、死んだ者のためにお経を読むんではないんだという、こういうスカツとした考え方が、一方にあります。
 もう一つは、やっぱり法事、命日にお経を読めば、そのお経の功徳が死んだ者に届くんだという、いわゆる<追善回向>という意味を認めるという考え方があるんです。

 はじめの「一切そういうことを認めてはならん」というのが、近代の学者で言いますと是山恵覚(これやまえかく)という、もちろん戦前ですけれども、龍大の教授でおられ、勧学寮頭も最初の頃なさった人ですが、そういう人がおります。
 反対に<追善回向>の、読経が何らかの意味で死者のためになるんだという考え方に立ったのは、花田凌雲(はなだりょううん)やという、戦前龍大の学長をした人で、仏教学者ですが、それを認めます。

江戸時代に遡りますと、やはりそういう二通りの学者がおるんです、それぞれの学者が。
 「認めない」と言うのは、南溪(なんけい)・僧鎔(そうよう)玄智(げんち)という、錚々たる学者は、認めない。例えば玄智は、「西大谷で墓に向かってお経を読むのはけしからん、墓にお経を読むのはおかしい」と盛んに言った人です。

 こういう、非常にはっきりした人と、一方、死者に何らかの意味をもたらす、<追善回向>があるんだというのは、興隆(こうりゅう)や月筌(げっせん)という人が、そういうことを言って来たんですね。

 私の若い頃の記憶なんですが、戦後、梅原真隆(うめはらしんりゅう)という人が勧学寮頭でおられた頃に、夏の安居にこの「読経意趣」というテーマで解読がありまして、討論したんですね。その時の決着は、「死んだ者のためにお経を読めば、やっぱり意味があるんだ」という、何らかの形でそういう結論を出したんですね。いわゆる<追善回向>を認めるという決着で、戦後の真宗の勧学寮には、そういうことを認めるということがあって、私の若い頃の思い出となっています。

【死者儀礼における二つの立場】

 そこで、「死んだ者にお経を読んで、それを死んだ者が喜ぶというようなことを考えないで欲しい」という、是山恵覚さんたちの考え、これはどこから来るかというと、ご承知の親鸞聖人の『歎異抄』の第五条にある、有名な

「親鸞は、父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず」

−死んだ父母のためには念仏しない−という、あの親鸞聖人の言葉が非常に重要な典拠になって、ここから「死んだ者のためにお経を読んだって意味がない」と、こういう考えが立つのですね。
    
 ところが反対に、「死んだ者にも意味がある」ということを言うのは何処から言うのかといいますと、存覚さんですね。存覚さんは、第三代の覚如さんの長男で、本願寺を造るために非常に大きな力のあったで、いろんな書物をたくさん書かれて、学者だと言うんですが、この<死者儀礼>については、徹底してそのことを言うんですね。
 これは、真宗聖典をご覧になると、『浄土見聞集』『報恩記』『至道鈔』など、これら存覚さんの書かれた書物の中を見ますと、「お経を読むと死んだ者が大変喜ぶ」ということがいっぱい書いてあるんですね。七日七日の中陰、初七日・二七日…も、『見聞集』あたりに出てくるんですね。死んだ者は閻魔大王の前に引っ張り出されて罪を問われる。四十九日の間までは徹底的に調べられるから、その間にしっかり供養してやれ、お経を読んでやれと。そうすれば閻魔大王の取り調べが少し柔らかくなって、罪が逃れられるんだという
ことを、見て来たように細かく書いてあります。これは存覚さんの発想です。
 そして、地獄にいくか畜生にいくか、お浄土いくかは、四十九日過ぎたらもう決まるって言うんですね。それでもなお供養しでやると、地狩から餓鬼に、餓鬼の者は畜生へと一つずつ上がって行くっで言うんです。そして、お浄土に生まれている者でも、なお供養してやれば、還相回向の力が仏様に加わるんだと、そとまで書くんですね.徹底して<死者儀礼>を書く。こういう存覚さんのところにに立って、「ここにそう書いてあるじゃないか」と言うのが<死者儀礼>を肯定する、<追善供養>を肯定する論理です。この二つが入り交じりながら、江戸時代から近代まで釆たわけですね。

【追善供養をどうとらえるべきか】

 最近は、こういうことを、あまり真宗学者も言わないですね。実際には、皆それぞれ住職をしながら、これはやはりきっちり問わなきゃならんところです。教学研究所の大村さんが「大変だ」というのは、ここまで見ておっしやっているのかどうか、よく存じませんけどね。
 例の、大村さんらが言われたポスト・モダン教学なんていうのは、今申しました存覚さんの論理を、現場の「三部経」のことにしても、「もう一度、真宗の教学を立て直せ」というようなことを言ったわけでありますけれども、ここらは一体どう考えるか、問題は、現実の問題として、大変いろいろあるわけですね。
   
 そこで、結論的に申しますと、やはり私は、真宗ではこの<死者儀礼>を、存覚さんが言うているようには認めるわけにはいくまいと思うんですね。「死んだ者が喜ぶ」とか「ちょっとでも良い処へくら替えができる」というようなことを今の時代に言ったって、人々は納得しないだろうし、まして親鸞聖人の『歎異抄』のような言葉がある限りは、そうは言えないだろうと。だからそういう意味では、<死者儀礼>というものは、お経を読んだところで、死んだものに対する何らかの追善、善根を肩代わりして送るということは認めてはなるまいと。

 しかし実際は、我々の教団なり我々の寺院なりの在りようは、<死者儀礼>と深く関わっている。そうである限り、ここをどう考えるか、解釈するかという問題でありますが、この辺りは全く私自身の思いであります。
 私個人では、いろいろに言って来たんですが、学問的にどこかで議論し、主張したということはないんです。しかし、一応こんな考えを持っていたとということだけでも、お聞き取り頂きたいと思うんです。

【天親菩薩「三種の供養」をてがかりに】

 それは、<死者のための儀礼>というのは、死んだ者のために何かプラスになるということを考えるべきではなかろうと。

 「供養」の「供」は、供えるという意味ですね。これは、仏教の言葉としては「給仕する」という、「供給する」といってもいい、そういう意味で、「供給資養する」という言葉が縮まって「供養」と言うようになったというんです。
 仏法の上で「供養」いうのは、「三宝{仏・法(教え)・僧(教団)}」に対して、それを発展させるために、いろいろと物心両面をお供えするということを「供養」と解釈していいと思う。
                
 仏教では、「供養」はいろいろに説明されますが、『十地経論』という、『十地経』というお経を解釈して天親菩薩が作られた書物、原文はなく漢訳されたものが今日残っておりますが、その中に「三種の供養」ということを、天親菩薩が言っておられる。
 どういうことかと言いますと、一つは「利供養(りくよう)」、二つ目は「敬供養(きょうくよう)」、三つ目に「行供養(ぎょうくよう)」ということを、この『十地経論』という書物の中で天親菩薩が言うんですね。
                
 これに私は前から注目しで、真宗の仏前勤行というのは、こう解釈してはどうかと思うんですね。天親菩薩は詳しいことは書いてないんですが、私なりに意味を捉えますと、「利供養」というのは、仏様についていろいろ荘厳する。お花を立てお供えをする、そういう仏様の仏前を荘厳することですね。

 次に「敬供養」は、仏徳を讃嘆する。大体<真宗の儀礼>は「仏徳讃嘆」と言って、仏様のお徳を讃えるという、「お経を読む」というのはそういうことだ。そこを私なりに拡げて、亡くなった人の追悼の意味で、亡くなった人の御恩を感謝し、そして、そのお徳を讃える、「お世話になりました」「いい方でありました」と、身内の者が集まって亡き人を偲び、その御恩を仰ぐという、それが「敬供養」。

 最後に「行供養」、これを申し上げたいんです。これは、そういうご縁で、僧侶以下、その法要に列なった者が仏道を行ずるんです。いわゆるお念仏のご緑をいよいよ深くさせて頂いて、仏法をより深く学ばせて頂くという、そういうことが「行供養」だと、このように理解しては如何かと思うんです。天親菩薩のおっしゃる意味とそう離れていないと申し上げてよかろうと思うんです。
                          
【五正行】

 それからもう一つ、これは全く別の視点ですが、ご承知かと思いますが、善導大師の「五正行」という教えがありますね。善導大師は、この五つの行為を、我々念仏者はしなさいというんです。

 これは何処から来るかというと、天親菩薩が『浄土論』というのを書いておられますが、その中に「五念門」というのがある、その「五念門」を修したらお浄土に生まれるというのが天親菩薩ですね。この「五念門」が何処から来たのかは、また問題ですが、私は『無量寿経』から来たと考えるんですが、<七高僧>の流れでは、我々がお浄土に生まれたいなら「五念門」を修行して来なさいというんですね。

 それが、善導に来ると「五正行」となります。これはお聞きになっていると思いますが、「読誦(お経を読む)」「観察(仏様のことを想う)」「礼拝」「称名」「讃嘆供養」を言いますね。善導は、この始めの三つと終わりの一つは<助業>で、第四番日の「称名」が<正定業>だと、お念仏がお浄土参りの一番の行いだと、こう言うんですね、「称名正定業」だと。

 これが日本に伝わって、法然上人が<専修念仏>念仏一つでお浄土参りだと、こういう話になって来るんですね。

【助正論】

 そこで、江戸時代から出て来た問題は、この「五正行」の中で「称名(念仏)」が中心で、後の四つ(読誦・観察・礼拝・讃嘆供養)はお念仏を助ける行ないだという、これを議論して難しいことを言ったんです。<助正論>という、ご存じですか。「行信論」と「助正論」ということをやかましく言うんです。この、念仏に対して、それを助けるのが、今の読経することとか礼拝することだと、こう善導さんは言うんだと。しかもそれを、第十八願のところで言うのか、第十九願・二十願で言うのか、少し話がややこしくなりますが、<弘願助正>か<方便助正>かというような、大変な議論をする。<助正論>というのは、<行信論>に匹敵するほど議論して来たんですけどね。

 その一つの考えに、石泉僧叡(せきせんそうえい)、石泉学派。この学派では、お念仏を申すために、他の四つは<助っ人>んだと、何かの助けになるんだと、こういうことを言うんですね。これは、別な学派からは、「けしからん、自力を勧めることだ」と批判を受けるんです。

 法然上人は、「お念仏申せ」と言ったって、お念仏だけを申すことはなかなか難しい、そういう意味で、お経を読んだり、お仏壇の前に坐ってお浄土を想ったり、その他事まざまな善根をしたら、少しでも、一声でもお念仏がよく申されるようになるからというので、<助業(助ける行為)>ということを非常にやかましく、法然上人はおっしゃっている。

 今も私たちは、お念仏を申すという日暮らしをさせて頂かなきゃなりませんが、お念仏を申すさまざまな手段としてお説教を聴聞することもよかろうし、お仏壇の前に朝晩坐ってお経を読むもよかろうし、親の命日に仏事をするのもよかろう。そういうさまざまな念仏を申すご緑、助縁になるものを努めてたくさん行うべきだと思う。

【死者儀礼は念仏の助緑として】

 <死者儀礼>というのは、今も申し上げたように、お念仏を申す<助縁>としてこれを捉えて行くこと、だから、死んだ者のためでなくて、私自身、それぞれ生きておる者が死んだ者をご縁にして、一声でもお念仏を申し、お念仏のご法義を身に付ける、そういうご縁にするというように、この仏事を捉えるべきではないか。

 どうもそのことが、現代の我々の社会からだんだん欠落しておるわけですが、このことをもう一度見直しながら、お仏壇を大切にするということの中で、<死者儀礼>も考えなければなるまい。

 実は、一般の大衆は、お寺さんにお経を読んでもらったら死んだ者が喜ぶというような<追善>の理解を、皆なにがしか持っいるわけでありますが、そういう現実を踏まえながら、少しでもそれが自分の聞法のご縁になるという方向に育てて行くという使命を、僧侶は持っているのではないかと捉えてはどうか思うんです。

 「死んだ者が喜ぶからお経をしっかり上げなきゃなちん」というような言い方をすれば、民衆の意識にはピタッと来るでしょうけれども、そういうレベルでやっている限り、やはり新しい時代の仏法にはなれない、こういう問題を思うわけです。

【二十一世紀をみつめて】

 最後に、『人はどうして騙されるか』という本が出とるんですが、これは、立命館の教授で、安西という物理学の先生てありますが、彼は東大でマジックのクラブにいまして、実に見事にさまざまな手品をやります。いろんなところで講演をし本を出してるんてすが その中て、宗教に関わるところで、いくつか問題を提起しています.いわゆる宗教と科学という問題ですね。

 その間にあるのがオカルトという問題てす。オウム真理教みたいなところで、ああいう空中浮揚なんていう非科学的な超能力みたいなことを言っている限り 宗教は将来駄目になるだろうと、さかんに言っている。どこまて科学と宗教がしのきを削って、接点が出て来るのか、彼は、ある意味では非常に宗教に対してよく理解をしながら、非常に厳しくそこのところを突いている。原子物理学者てすから、論理を展開いたしますね。ここのととろを非常にはっきりさせない限り、二十一世紀の宗教は一般の大衆のものにはなっていかない
だろうと。 科学がキチッと問題を明らかにしてきますね。その科学の世界でギリギリに問題を詰めたところで、なお科学が発言出来ないところ、そこて宗教がキチッと対応して、大衆を納得させるというのは、かなりはっきりと宗教というものの意味を明らかにしないといけない。

 「オウム真理教はおかしい」と言いながら<あ守り札>を売りさばいて、それでご利益を言ったり、「ご祈祷すれは病気か治る」と言ったりするような、そういうレベルの宗教を抱え込みなから「お釈迦様の教えはこうだ」と言ったってこれからの時代、どういう形になって行くと言うのか。私は、宗教のもっと本質的なところを明確にしていかないと、二十一世紀の宗教は、科学の論理から厳しく追求されて、本当の意味の宗教の立場を失って行くんではないか、こ
んな思いを若い時から持っておりますが、その安西氏の本を読んでも、改めてそう思います。

 だからそういう意味で、「お経を読んでやれば死んた者が喜ぷ」というような考えを、正戸時代なら民衆は納得したでしょうが、現代の人がそれをとう受け止めるか、もしも「そりゃそうだ」と現代の若者が受け止めるとしたら、それはオウムの<空中浮揚>とほとんと変わらないレベルて受け止めているんではないか。

 そういうものをキチンと排除しながら、なも、お念仏の真・仏様のお慈悲・浄土に生まれるというところを言い切るためには、ここらを明確にして行かなければ、これからの時代に対応出釆ないたろうという思いが、一つ根っ子にあるんです。

 そういう意味で、今の<追善供養>は、そのあたりをハッキリさせる、『私の聞法のご縁』だという立場をキチンと銘記しなければなるまいと、こんなことを思ったことでございます。

             

             文責 中尾了信・松本順昭・岩崎智寧(各章題を加筆)
                     

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